「おい、カンジ、何ボーっとしてるんだ」
ミルコの声で石原はふとわれに帰った。
…何だったんだ、今のは。
急に「あの日」の記憶がフラッシュバックしていたのだ。
フラッシュバックの中に自分の記憶以外のものが多数あったようにも思え
るが、おそらく後でいろんなところで見聞きした情報だろう。後はネットで
見た情報なども混ざっていると思う。
背中が痛い。そういえばあのとき受身を取っていなければ即死、までは
いかなかったけど反撃できなかっただろうなぁ、とふっと思った。
「んん、あぁすまん。なんかボーっとしてた」
「おいおい頼むぜ、お前さん今回の作戦の切り札なんだから」
そういって後ろを振り返ったのはボブだった。糞狭いコクピットの居住性は
最悪といっても構いはしない代物なのだが、それでもジェミニ宇宙船に比べ
ればマシらしい。ジェミニて、50年近く前だろ。とミルコは言っていたが。
大体ジェミニの頃は彼らみたいに緩々の船内服なんて着ていなかったし、
(アルミホイルで覆われたような代物といっても過言じゃない)おまけに
打ち上げそのもののリスクがかなり大きかったのだ。
もちろん2012年にもなっても、ロケット打ち上げのリスクってのはまったく
なくなったわけでもないのだが、少なくとも彼らには技術の蓄積があったわけ
で、ジェミニの頃に比べればはるかにマシにはなっているのだ。
しかしながら、今回の計画に関して言えばそういった技術の蓄積も、気休め
程度にしかなってはいないということはみんな理解していた。
宇宙空間で核を爆発させたときに、ある程度の距離があるとはいえ防御は
十分に可能なのか?一応防御シールドとして、鉛やらセラミックやらの複合
装甲が前面に覆われているとはいえ、実際のところわからない部分はある。
2mにも及ぶ防御シールドが不十分かもしれないというのは実に嫌な感じ
ではあるのだが、何しろこればかりはわからないとしかいえない。
「オリオン条約」のせいで誰も試したことがないからだ。
さらに核により発生した電磁場が、観測機器やコンピュータに悪影響を
与えることはないのか?という問題もあった。
観測機器はコクピットのさらに後ろに用意されている…パイロットの命と
どっちが大事だといわれそうだが、観測機器が死んだら全て終わりなのだ。
それに加えて大型のコンピュータ、これまでの宇宙計画の中で最大級の
コンピュータを積むことになったのだからそりゃ居住性も劣悪になるという
ものである。
そして巨大な推進機関、高速を出すためにもちろん化学推進である。
液体水素と液体酸素からなるメイン推進機関は、現在その燃料の82%を消費
していたが、それでもなお6.2トンの燃料が存在しているのだった。
燃料の量からもわかるとおり、これまでにない巨大な宇宙船なのである。
これほどまでの重装備のしわ寄せは居住性のほかに電力にも及んでいた。
燃料電池による電力の供給はもちろん行われている。それですら観測機器、
コンピュータ、そしてパイロットたちの生存に十分な電力ではないのだ。
それでは彼らはアポロ13号のパイロットたちのように耐え忍ばねばならない
というのだろうか?
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地上、ニューメキシコの近郊の砂漠地帯にその異様な物体はあった。
物体という表現は正確に言えば間違いであろうか、それらは無数の板のよう
なものからなっていた。その板が一枚一枚稼動して、ある方向を向く。
中央部にある塔から光の帯が伸びた。
光の帯は天空にまで達する。
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「月は出ているか?」
ボブが半笑いになりながら、持ってきたサングラスをかけて言う。
「…やっぱり、それやるのな」
「当然だろ」
「…出てるけど…ニューメキシコ、アクセス」
ミルコが機器を見ながらチェックをすばやく行う。
「マイクロウェーブ、来るっ!」
叫んだのは石原だ。本当に彼らはどうしようもなく、こんなときまでも
ヲタクだったし、多分ここまで来たらもう死ぬまでヲタクだろう。
地上の連中も半笑いになっていた。
しかし、彼らも基本的には悪い気分じゃなかった。
多少なりともSFとかアニメとか好きな連中だったし、そういう連中としては
本当はそんなマニアネタも振りたかったところだったが、大体パイロットに
なるような連中と来たら、往々にしてアメフトの選手で成績優秀とか、そんな
別の意味でふざけた連中で、当然マニアネタ介するような奴は少数だ。
今のNASAのトップは(臨時でなったってこともあろうが)そんなマニアな
連中とも仲良かった。だからこういう雰囲気の方がきっと好きだろう。
逆にアメフトの選手で成績優秀なパイロットたちなんぞ、今頃地下で神に
お祈りしながらがたがた震えているのだ、きっと(実際はわからないが)。
「…OK、充電開始だ」
地上からのマイクロウェーブを受信するための受信パネルが展開されて、
膨大なマイクロ波が電力に転換される。先ほどまで0に近かった電圧が一気に
息を吹き返す。それと同時にシステムの多くが機動可能となる。
もちろん、地上や新造シャトル「オリオン」、新型ロケット「マルス」、
そして国際宇宙ステーションなどでのさまざまなテストはすでに行われて
いたのだが、それでも…無茶な計画であるといわざるを得ない。
しかしこうする他、十分な電力を得る方法がないのも事実だ。
「なんていうか…実験船もいいところだな」
石原が軽くぼやく。無理もない。この船の本来の目的はもちろん「隕石の
軌道を変えることで地球衝突を避けること」なのだが、目的のために彗星観測
を行う羽目にはなるわ、宇宙空間での核実験のテストにはなるわ、さらに
さっきのマイクロウェーブの大規模エネルギー転換テストである。
下手な宇宙研究ミッション並みに実験、観測を行っているのである。
「おかしいよね、俺元ニートなのに」
そんなことも愚痴りたくなる気分になる。
「…それいうなら俺だって元キモヲタだし」
ミルコもそれに反応する。
「俺も似たようなもんだ、と」
当然のようにボブもつぶやく。船外をなんとなく石原が見る。
いつか見た満点の星空ではあるが、3人にとっては昔はどうでも良かったし、
今もやっぱりどうでもいいのだ。
目の前の、2本の尾をたなびかせるあの白色彗星を宇宙の果てに吹き飛ばす。
ただそのためだけに、彼らはここまでやってきたのだ。
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宇宙で石原たちがぼやいていたそんな頃。
NASAの最高責任者、ディビット・ハッブルポフが提唱した地球規模の
グリッドシステムが機動し始めていた。
「西ヨーロッパ、現在1億4000万台突破」
「日本、韓国であわせて6000万台です。すごい速度で増えてる…」
「システムは順調のようだな。引き続きグリッド監視を頼む」
「わかりました」
今のところはグリッドシステムといっても特に何をやるわけでもない。
しかし、これから隕石の機動を核で動かすときには話が変わってくる。
宇宙および地上の観測結果から隕石の機動を再計算し、その結果を元に
「隕石のどこに」核を打ち込むかということを計算する。
そしてその計算結果を基準としてに宇宙のヲタ3人が核ミサイルをぶち込む。
最初に計算された時点では、彼らが搭載している1000メガトンの核で隕石を
押してやることで、何とかぎりぎり地球の重力圏を突破する加速度を得られ
その結果隕石は宇宙のかなたに飛び去る、はずである。
とはいえ、この計算が少しでも狂えば、隕石は地球に猛烈な勢いで衝突する
こととなり、その持っているエネルギーは地上にある全核兵器に匹敵する。
当然地上は壊滅的打撃を受ける。
だからこそ、この計画を成功させるために、限りなく正確な計算が必要に
なる。その処理能力はNASAが所有および利用できるコンピュータをかき集め
ても足りそうになかった。グリッドに白羽の矢が立ったのはそんな理由だ。
ディビットはシステムの処理状況を見ながら、にやりと気味の悪い薄笑い
を浮かべると、管制センターの方に向かっていった。
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世の中には2種類の人間がいる、といってもいいだろう。
祭り好きの人間と、そうでない人間だ。
ディビットのシステムに喜び勇んでアクセスし、はじめましてーとか書き
込んでいる連中は間違いなく祭り好きだ。
日本人には祭り好きが多いのかもしれない。もちろん全員ではないが。
「ひゃっほーー誰もいないNASAちゃんねるはまるで新雪のようだぜーー!!」
と勢い良く書き込む奴。罵りあいとか雑談とか、まぁとにかくいろいろ
な書き込みが書き込まれ始めた。
そういった書き込みにいい顔をしない人もいる。
「こんな時までふざけないでください」
「こんな時だからふざけてんだろが!」
そんな感じでまた罵りあい。
そもそもディビットのNASAちゃんねる(日本名)に参加しない連中すら
少数派であるが存在していた。
彼らはある意味あきらめきっていた。政府に、周囲に、自分自身に。
それなのに、こんな状況なのに、まだあきらめてない馬鹿がいる。
そしてそれを拍手喝采で迎えるバカがいる。
腹が立った。
あるブロガー、木田義弘はそんなあきらめきった連中の一人だった。
NASAちゃんねるに対して攻撃を仕掛けていたのだが、回線が急に切れた。
「なんかNASAちゃん攻撃してるアホいたんでアクセス禁止しといた」
NASAちゃんねるの日本管理人の一人が、そんなことを書き込んだ。
当然賞賛の嵐。そりゃそうだ、こんなときまで攻撃するほうが悪い。
少数の攻撃者がいたが、各国の管理人および、各国のネットワーカーに
適時撃破されていったのでNASAちゃんねるは安泰のまま、時を待つ。
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「いよいよだな」
「あぁ…」
今度は石原とミルコだ。石原はご丁寧にも指を組んでいる。
もちろんサングラスは標準装備だ。
こんな状況ですら、相変わらずこんなことをしている3人である。
ボブが機体の制御を開始する。ここからはいよいよ砲撃に備えた各種準備
に移らないといけない。
バッテリーの充電が完了した。各種情報を受信するアンテナの感度も現在
は良好である。しかし核による電磁場妨害が発生したら通信は困難だ。
(もっとも超高出力マイクロウェーブによる通信は可能なはず)。実のところ
高出力マイクロウェーブは電力のほかに高速通信のためにも利用できる。
どちらの目的で、というきりわけはなかなか難しい。
例えば電話線にも微弱な電流が使われているが、それをわざわざ電灯を
点けるために使う人は少数だろうし、近年になるまでコンセントを使った
通信なんてのはアイディアとしてはあっても実現しようなんて話にはならな
かったのではなかろうか。
「システム…オールグリーン」
「観測機器、F1からF12、すべて順調、T12からT32、動作確認」
「A1の射出機安全ロック解除」
3人が口頭でチェックを行いながらヒューストンに伝えてゆく。ヒューストンで
も同時にチェックを行っていき、問題がないことを確認していく。
これまでの宇宙ミッションとここまでは一緒だ。
「頼むぜ、カンジ」
ボブの声に若干震えがあるようにも思えたが、石原は何事もないかのように
訓練どおりにシステムの確認を行う。そして…
「ボブ、CP1修正、0.1秒、角度にして2分頼む」
「厳しいなぁ…やってみる」
石原は船体の微妙な方向修正をボブに依頼し、ボブがそのとおりのごく
わずかの修正を行う。姿勢制御のための微妙な推進。コンピュータの補助
があるとはいえ、相当に困難なものである。
船が彗星の方を向く。
彗星はもはや肉眼ですら核が確認できるような状態である。
「ありがとう」
先ほどまでとはまるで人が変わったかのような石原。ミルコもボブも知っては
いたが、何度見ても不思議な感覚だった。
正確に目標まで爆発物を運ぶ。それが近代戦の基本といってもいい。
爆発物を運ぶことに関してだけは超一流の男、それが石原なのだ。そして。
「12秒後、初弾を発射する。発射方向、修正お願いします」
11…10…9…カウントダウンが進んでゆく。
今回の計画においてまず重要なこと。
それは彗星の表面を十分に蒸発させることである。地上と違って、核爆発の
エネルギーを伝達するための物質はほとんど宇宙空間に存在しない。
そのためわざと彗星の一部を蒸発させてやり、その蒸発したガスを加速する
ことで彗星を動かす、という案が考えられた。
初弾は彗星の一部を吹き飛ばすのが目的なのだ。
これほどまでの威力の核ですら、彗星そのものを蒸発させることは出来ない
のである。
7…6…5…ヒューストンのスタッフたちも息を呑んで状況を見る。
「3…2…1… 対彗星迎撃核初弾、発射!」
ごとん、と重い音とともに、初弾が切り離された。
それと同時に猛烈な勢いで初弾の加速が開始される。数百キロの距離が
あるとはいえ、数分後には到達するのだ。だんだんと初弾が小さくなっていく。
刻々と伝えられるデータ。データ通信回線のみが饒舌に彗星の状況を語る。
50トンの大型核ミサイルである。それが猛烈な勢いで加速をし続けてゆく。
してゆく。そしてその先の彗星に…吸い込まれるかのように…瞬間。
閃光。
まるで彗星そのものが輝いているかのような激しい閃光が、船を、そして
地上にいる人間に降り注ぐ。
そして数十秒後…機体がゆすぶられる。衝撃波だ。
音が聞こえるわけではない、しかし、衝撃波は確実に船体に届くのだ。
閃光と衝撃波は地球にも到達した。
稲妻を幾重にも幾重にも束ねたような巨大な閃光と轟音。
ついに宇宙戦争が、はじまったのだ。
地上の人間たちも、本当の意味での始まりがここからであるということを
このときに始めて理解できたのではないだろうか。
たった3人の、しかしその後ろには何十億もの人間の意思が憑いている
小さな船によって、人類を救うための戦いが始まったのだ…
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衝撃波を感じて、窓から空を覗く武宮がいた。
外の明かりがこんなに少ないのはいつ以来だろうか…本来ならこの時期だと
町はクリスマス商戦で活気付き、カップルが町に繰り出しているはずであるが。
今頃はみな、期待と不安で複雑な気持ちで空を見上げているに違いない。
「あいつら…とうとう始めやがったな…」
武宮が見た東空には、冬の星座、オリオン座が輝いていた。
そして、明らかに肉眼で見える…いやむしろ空を覆わんばかりの彗星を
武宮はどうしても美しいと感じられないのだった。
「オリオンは狩人だったな…砲撃手は…彗星を狩れるだろうか…?」
武宮は、そんなことをつぶやくことしか出来ない自分に軽く苦笑した。
オリオンの砲撃手
-orion's gunner-